代表取締役
朝野佳伸(あさの よしのぶ)
私が以前勤めていた企業は、社員総数が26,000人。
当社とは、規模はもちろんのこと仕事の進め方もまったく違いましたので、入社当時(2003年)は戸惑いやカルチャー・ショックも感じていました。
亀井組という会社をだんだんと知るにつれ、当社独自の魅力や持ち味があることを実感しました。その最大のものが地域に根ざした企業ならではの伝統です。
亀井組の100年という歴史の大半は、鳴門という街の発展とともに歩んできました。
明治・大正・昭和という変遷のなか、塩田・土木・鉄道・道路・建築といった時代に即した事業展開をおこない、徳島市に本社を構えた後の今日にいたるまで、先人の意志を引き継ぎ、連綿と地域社会の生活基盤、経済基盤の拡充を支え続けています。
またその間に培ってきた信頼、そして技術も、何事にも代え難い当社の資産であると自負しています。
現在の建設業界が直面している閉塞状態は、当社も例外ではありません。公共工事の削減やコスト競争による利益率低下など、今は業界全体が逆風に晒されている時代だと言えます。
このような状況のなかで、いち早く活路を見いだし、持てる力を集中投下できる企業こそが、今後生き残れる企業なのだと私は考えます。
そのためには、まず「自分自身を知る」ことが大切。
前述の通り、当社には100年という歴史に裏打ちされた伝統・信頼・技術があります。この資産をどう活かすか、という命題が私たちの原点であり強味でもあるのです。
もちろん、伝統に固執するという意味ではありません。自尊心は過剰になると、老舗企業にありがちな硬直さが生まれてしまうものです。謙虚に、そして客観的に自身を評価する姿勢が不可欠だと思います。
私たちが、もう一つ考えねばならないのは、今という時代のニーズ・価値観です。たとえば、サービスという側面。
付加価値が問われる時代に建設業はどうあるべきかという視点、お客様の満足を最優先に考えた思考を、経営から現場まで一貫して追求しなければならないと考えています。
私は大学生の時に、神戸にて阪神淡路大震災を経験しました。
学友が住むマンションや家が倒壊、炎上するなか、私はまさに奇跡的に生き延びることができました。平穏な日常を、何の前触れもなく生死を分ける修羅場へと一変させる自然災害の恐怖を、身を持って体験しました。
ここ徳島においても、昨今、南海大地震への対策がさまざまな局面で叫ばれています。
当社は、古くより土木事業をおこなってきたこともあり、台風や土砂崩れ等の自然災害に対する安全対策や復旧対策に積極的に取り組んできました。
今後は、これらの経験やノウハウを活かした上で、地震をはじめとする自然災害対策にさらに注力し、全社をあげて取り組んでいく方針です。
耐震に関する最先端技術の追求に留まらず、大規模災害が起こった時の避難場所の確保、またいかにすばやくライフラインを立て直し、災害前の暮らしや経済活動へ回復できるかという、BCP(企業継続計画)の観点に立った調査研究を積極的に推進しています。社員はもとより、お客様、そして地域社会の安全と安心を構築すること。
これも地域に根ざした亀井組という企業の大きな使命であると捉えています。
亀井組という企業は、この100年間「ものづくり」に強いこだわりを持ち、常により高い技術をめざし、さまざまな実績を刻んできました。
この基本姿勢は、次の100年をめざすにあたっても、変わることはありません。
「ものづくり」を通して、お客様にいかに高い満足を提供できるか。「ものづくり」を通して、地域社会にいかに貢献することができるか。
私たちは、100年という節目に、その長い歴史をもう一度真摯に見つめ直し、社員一丸となって知恵を出し合い、切磋琢磨しながら、常に新しい活路を見いだしたいと考えています。
多くの諸先輩方、協力会社の皆様が築き上げてきた亀井組というブランドをさらに確固、不動たるものとし、時代の潮流に即した新たな提案を打ち出しながら、次の世代へと受け継いでいく覚悟です。
近い将来、道州制という新たな地方再編の時代が来るとも言われています。
亀井組という企業が、徳島はもとより四国というエリアの発展、安心かつ安全に暮らせる街づくりに貢献できる日を夢見て、努力を惜しむことなく、誠実に進化を遂げていきたいと願っています。
<創業百周年記念誌より>